六甲1号の大雑把な自己紹介です。
1.経歴など
- 名前・・・・・「六甲1号」、ろっこう1号、rokko1go →これにホームページの列車番号(101M)が付く。
- 本名・・・・電話帳で電話番号を調べたのか「俺の話を聞いてくれ・・・」なんて私の家に電話を掛けてきた変な人が(それも1回だけじゃない!)いたので、当分の間、本名の表示は差し控えさせていただきます。普通はメールだろ(~_~メ)といいたいですね。
- 生まれ・・・1965年夏(EF65500番台と同じ頃)、六甲山の麓、神戸市灘区の病院にて
- 小学校・・・神戸市立六甲小学校(大先輩に遠藤周作先生が在学されたそうな)
- あだ名・・・“べ〜さん”→放送委員だった小5のある日、何人かの級友と放送室内でDJ声帯摸写をして遊んでいたところ、誰かがスピーカーの接続スイッチをONにし、私の羊の鳴き声の真似が、全校中に「べェ〜」っと響きわたったのでした。
- 中学校・・・神戸市立長峰中学校(3年後輩に網浜直子がいたらしい、元阪神のバースの家も近く)、六甲学院(六甲中学・六甲高校と一環私立進学校)というのがあったが、鉄のし過ぎや、この辺の学力レベルが高いのか、あきらめました。と言うか男子校には行きたくなかったので、親の希望に反して熟へも行かなかったくらい。おかげで楽しい学校生活を送れたようだ。
- 高校・・・・・兵庫県外の人に言うと「あの灘高?凄い」といつも間違われる、某県立普通科の予備校生産出高校です。
- 大学・・・・・新大阪駅を発車するとやがて見えてくる大学です。もちろん教室から新幹線が見えるので、金曜又は土曜の2限目辺りにドクターイエローが通るのが楽しみでした。トミーズ雅?うん先輩らしい。
- 最寄り駅・・阪急六甲駅(学生時代毎週月曜日は関大へ向かう桂文珍師匠と同じ電車・車両でした)、また国鉄・JRでいうと、東海道線の六甲道駅になります。当時はまだ地平駅で、よく駅東側の踏切小屋に通い、しおじ・明星などの通過の度に通過票(踏切番がその日の列車の通過をチャックするする票で、D券切符大の票がリングに連なっており、通過毎に裏返す)を裏返しさせてくれたり、時にはワイヤーハンドルを回させてもらいました。
- 牛乳・・・・・小学校の時の給食では六甲牧場の六甲牛乳を飲んでいました。(脱脂粉乳世代ではありません) 工場は自宅から徒歩5分位で、コロコンベアを使った積み込み作業をよく見に行ったものでした。 またバター・チーズも当然六甲バター(QBBチーズなら知ってるかも)でした。
- 模型・・・・・5才頃に兄に連れられて行った六甲模型に、店のおばさんに顔を覚えられるほど通ったものでした。(下記参照)
2.鉄 歴
- たび・・・・・小学3年の秋に初めて一人で岐阜へ往復して以来、少しずつ範囲を広げていく。
- 写真・・・・・中学1年の時に親父の使っていた一眼レフ(NikonF)を持ち歩くようになってから。以後、F−501、F90で現在に至る。
- ビデオ・・・・大学1年の時に日立VM−500を買って以来、現在3台目(ビデオのページ参照。)
- 学生班・・・大学時代は通学途中にある、阪急十三駅で臨時案内係(これが正式名称で、通称:学生班、俗称:尻押し屋・押し込みとか言われた)のアルバイトをしておりました。資料室に乗車証があります。
- 模型・・・・・鉄道模型は6才の時、つまり昭和46年に関水のカニ21(現存してます)を手にして以来、Nゲージばかり約230両くらいあると思いますが、最近はほとんどやっていません。TSマスコン用パワーパックが出れば、復活するかも・・・。 →保有車両リストへ
- 乗り潰し・・・平成元年春に国鉄全線完乗。JR化後の新規開業路線は、あと長野新幹線のみ残る。私鉄はだいぶ残ってます。
- スタンプ・・・コクヨのミニノートで15冊位になりました。JR化後は設置駅がなくなる一方で、押印も増えず、淋しい限りです。
3.現 在
1995年1月17日の阪神大震災・転職などもあり、もうかなりの間神戸を(最近は関西からも)離れています。 そのうち神戸か六甲山の見える地域に戻るかも?
4.パソコン歴
- ’81夏、友人が購入したMZ-80(めちゃ懐かしいでしょ)に刺激され少々触るが、まだまだ高嶺の花だった。
- つくば万博でハイテク生活に目覚め?’85年にMSX(ビクターHC-6)を購入したのが始まり。
- ’90年初めてローン払いで、X68000ACE(それも中古)を購入。
- ’95年DOS/V(IBM-Aptiva720)を購入。(DX4−100MHz)
- ’98年春ノートも欲しくなり、中古で東芝サテライト310を購入。(MMX−P200MHz)
- ゜98年秋DX4に限界を感じ、自分好みのマシンを自作「やまと1号」(K6-300MHz)
- ’99年末弟に「やまと1号」を譲るので、新たにマシンを自作「やまと2号」(K6−2−400MHz)
- 2000年4月、モバイルPC欲が我慢の限界、SONY C1XFを買っちゃった(PU−400Mhz)でもその後に出たC1XGが5万円安くてがっかり。
- 2003年12月、久々に3台目の自作パソコンを作る。「ながら1号」(AthlonXP 2,500 Barton)
- 2007年11月4台目の自作パソコン製作。「ながら2号」(Athlon X2 DualCore Be 2350)
- 以降はPC自作機のページをご覧下さい